国立市に対応しているポスティング業者紹介の国立市ポスティング.com|国立市の歴史

「国立市ポスティング.com」のサイトに関するお問い合わせ電話番号

国立市あれこれ

国立市の歴史

国立市の歴史の写真

 鎌倉時代・室町時代

鎌倉時代の後期には「谷保郷」という地名が成立しました。本来谷保の「谷」は「ヤツ」で、湿地帯を意味し、この地域が水田に適した土地条件を持っていたことからも、稲作が盛んだったと考えられます。鎌倉の御家人の津戸氏と名のる武士が、谷保に住んでいたといわれています。

 江戸時代・明治時代

江戸時代、今の甲州街道を中心に民家が立ち並び、やがて村へと発展。住民は農業、養蚕を主とし、街道沿いには商業・手工業を営む家もありました。

明治22年(1889年)には、谷保村・青柳村・石田村飛地の3村が合併し、国立の前身の「谷保村」となりました。同26年(1893年)には、それまで属していた神奈川県から東京府へと移管されました。

 大正時代

大正時代末期になっても、谷保村は甲州街道沿いに数百戸の農家が点在するだけでした。しかし、谷保村の北部一帯の山林が、箱根土地株式会社によって開発され、理想の文教都市をめざして、整然とした街路が作られました。大正15年(1926年)には、国立音楽大学が創立され、また、国立駅が開設されました。

 昭和時代・平成時代

昭和2年(1927年)に一橋大学が誘致され、4年(1929年)に南武線が開通しました。昭和20年(1945年)代には第二次世界大戦による疎開と、戦後の住宅復興によって、人口はうなぎのぼりに増え、同26年(1951年)に谷保村から国立町になりました。
また、そのころ国立の教育環境を守るため、市民や学生を中心に「文教地区指定運動」が起こり、昭和27年(1952年)1月6日、国立は建設省と東京都から「文教地区」の指定を受けました。同40年(1965年)、公団の富士見台団地が完成し、人口も一躍5万人を突破しました。
そして昭和42年、「国立市」が誕生しました。さらに、平成10年(1998年)には市民が7万人を超え、現在に至っています。

 国立の名前の由来

国立という名は、大正時代の末期、箱根土地株式会社によって谷保村の北部の山林が開発された際、まちの名前を選ぶときに出てきました。当時の中央線は国分寺の次が立川で、ちょうどその真中に当たる場所に駅をつくることになっていたため、両方の頭文字を取って「国立」にしようという声が上がりました。この案は「この地から新しい国が立つ」という願いとも相まって受け入れられたようです。

(国立市資料提供)